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鉄きち muraきち [鉄道]

こんばんわ
やや風邪気味の作者でございます。
いきなりでございますが、今日は通勤で使っている関東→神奈川を走っています
“JR鶴見線”について、フリー百科事典を引用しながらお知らせ致します。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鶴見線(つるみせん)は、神奈川県横浜市鶴見区の鶴見駅から同県川崎市川崎区の扇町駅までと、横浜市鶴見区の浅野駅から分岐して海芝浦駅まで、川崎市川崎区の武蔵白石駅(実質的には安善駅。後述)から分岐して大川駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。

=mura 世間一般的には、鶴見線って聞いて住んでる人には大変失礼ですが、とりわけ有名な路線ではなく
仕事をする迄一度も乗った事ありませんでちた...

路線距離:総延長9.7kmで、以下の3路線からなる。終点側の■で示された色は、103系電車の方向幕の色である。
東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者):
鶴見駅~■(赤)扇町駅 7.0km
浅野駅~■(青)海芝浦駅(海芝浦支線) 1.7km
武蔵白石駅~■(黄)大川駅(大川支線) 1.0km
大川支線の正式な起点は武蔵白石駅だが、現在、武蔵白石駅には大川支線行きのホームはなく、大川駅行きの列車は安善駅で分岐する。
日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者):
浅野駅~扇町駅 (4.0km)
浅野駅~新芝浦駅 (0.9km)
武蔵白石駅~大川駅 (1.0km)
元々、川崎市沖の埋立地の輸送機関として敷設した路線であったことから、この他に旅客営業を行っていない貨物線があるほか、沿線各工場への専用線が伸びる。
軌間:1067mm
複線区間:鶴見駅~浜川崎駅、浅野駅~新芝浦駅
電化区間:全線(直流1500V)

運行形態
・列車は全列車が各駅停車で、ほぼ全便が鶴見駅を発着する。ラインカラーは黄色である。
沿線は純然たる工場地帯であり、乗客のほとんどは工場の従業員である。そのため、朝夕に比べて昼間の列車数はかなり少ない。特に、大川支線には日中(9時台~15時台)には1本も列車が来ない。
利用者の大半は工場への通勤客の輸送であるが為に、2004年3月のダイヤ改正まで長らく「土曜ダイヤ」と呼ばれる土曜日専門のダイヤが残されていた。
海芝浦駅にある東芝京浜事業所が、土休日が出勤日となる際や平日昼間に終業する際、通常の列車本数では不足する為鶴見~海芝浦間に臨時に列車を増発することがある。これはファンの間では「東芝京浜事業所の通勤客の為だけの臨時列車」と言う意味合いから「東芝臨」と呼ばれている。この臨時列車は時刻表には掲載されていない。
1971年に大幅な合理化が行われ、鶴見駅以外の各駅の出改札業務はすべて無人化された。そのため、鶴見駅にはJRと他社私鉄の連絡改札口と同様の中間改札口が設けられており、鶴見駅で乗り換えて鶴見線各駅へ向かう場合の運賃清算は、鶴見駅で行う形となる(南部支線浜川崎駅で乗り換える場合は、有人の南部支線駅で清算)。しかし、Suicaシステムの導入により、各駅にはSuica簡易改札機が設置されたため、Suicaイオカードで乗車した(乗車券を持っていない)場合には鶴見駅の自動改札機のSuicaセンサーに触れないようにとの注意書きがある。(浜川崎駅の扱いは不明であるが、沿線工場以外への利用客数が少ないことから南部支線駅の駅員に断って有人改札を抜けることになるであろう)
=mura そうなんです無人君なんです、売店?あるわきゃないない?探せばあんのかな?
このタッチし忘れで、他の駅でsuica チャージでエラーが出ちまい困ったもんだ。
因みに駅を出る時タッチしなくても、鶴見駅まで戻れるんだよね。だからタッチし忘れる...

歴史
・1926年3月10日 : 鶴見臨港鉄道が、浜川崎操車場~弁天橋駅間、大川支線分岐点~大川駅間で貨物専業鉄道として開業。
1926年4月10日 : 石油支線分岐点~石油駅間(後の浜安善駅、貨物線)が開業。
1928年8月18日 : 浜川崎駅~扇町駅間が開業。
並行する海岸電軌(摠持寺駅~川崎大師駅)があったため、当初旅客営業は行っていなかったが、1930年に同社を合併して鶴見臨港鉄道軌道線とする(後に廃止)。
1929年3月14日 : 浅野駅~浜川崎駅間に渡田駅開業。
1930年10月28日 : 全線電化、鶴見仮駅~弁天橋駅間を延伸した上で鶴見仮駅~扇町駅間での旅客営業を開始。石油支線分岐点に安善通駅(現:安善駅)開業。
1931年:大川支線の旅客営業を開始。
1931年3月20日 : 浜川崎駅~扇町駅間に若尾駅、昭和駅開業。
1931年7月25日 : 安善通駅~渡田駅間の大川支線分岐点に武蔵白石駅開業。
1931年8月15日 : 武蔵白石駅~渡田駅間に(臨)海水浴前駅開業。
1932年6月10日 : 芝浦製作所(現:東芝)の専用線を買収し、浅野駅~新芝浦駅間の旅客営業を開始。
1932年9月1日 : 安善通駅~石油駅間に安善橋駅開業。
1934年12月23日 : 鶴見仮駅~鶴見駅間を開業。
1935年12月1日 : 弁天橋駅~鶴見川口駅間(貨物線)を開業。
1936年12月8日 : 国道駅~弁天橋駅間に工業学校前駅(現:鶴見小野駅)開業。
1938年12月25日 : 安善通駅~石油駅間の旅客営業廃止。
1940年11月1日 : 新芝浦駅~海芝浦駅間が開業。
1942年12月12日 : 本山駅(鶴見駅~国道駅間)廃止。
1943年6月1日 : 国有化、国鉄鶴見線となる。
工業学校前駅を鶴見小野駅に、安善通駅を安善駅に、石油駅を浜安善駅に改称。
(臨)海水浴前駅(武蔵白石駅~浜川崎駅間)、若尾駅(浜川崎駅~昭和駅間)、末広駅(浅野駅~新芝浦駅間)、安善橋駅(安善駅~浜安善駅間)廃止。渡田駅は浜川崎駅に統合。
1948年5月1日 : 架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
1971年3月1日 : 鶴見駅を除く全駅を無人化。
1972年 : 73系を運行開始。
1979年12月4日 : 101系を運行開始。
1980年 : 73系撤退。
1982年11月15日 : 浅野駅~鶴見川口駅間(貨物線)が廃止。
1986年11月1日:安善駅~浜安善駅間(貨物線)が廃止。(線路自体は残り、現在では旧浜安善駅までが安善駅の構内として入換扱いで貨物列車が運転されている。)
1990年8月2日 : 103系が運行開始。
1992年 : 101系撤退。
1996年3月15日 : 大川支線の旧型電車(クモハ12形)がこの日限りで運行終了。
翌16日から大川支線の電車が武蔵白石駅通過となる。
武蔵白石駅の大川支線側線路が急カーブであり、17m車のクモハ12でしか通行不可であったが、引退に伴い20m車の103系を通行可能とするためホームを撤去し、その敷地を利用してカーブを緩和した。
2004年8月25日 : 205系が運行開始。
2006年3月17日 : 103系がこの日限りで運行終了(予定)。
=mura 結構歴史あるんすね。出来て80年か〜

備考
・鶴見臨港鉄道は戦時買収後もそのまま存続し、東亜建設工業の傍系企業として現存している。そして鶴見駅西口駅ビル「ミナール」他、JRの線路に沿って川崎方面に向かって数箇所の不動産を管理所有しているが、これはかつて路線を鶴見から先に延伸すべく確保した用地の名残である。

駅一覧
・接続路線
表中の色は、103系電車の方向幕の色である。
駅名 本線 大川支線 海芝浦支線 接続路線・備考 所在地
鶴見駅 ● ● ● 東日本旅客鉄道:京浜東北線 神奈川県 横浜市鶴見区
国道駅 ● ● ●
鶴見小野駅 ● ● ●
弁天橋駅 ● ● ●
浅野駅 ● ● ● 海芝浦支線分岐駅
新芝浦駅 ●
海芝浦駅 ●
安善駅 ● ● 大川支線乗換駅
武蔵白石駅 ● | 大川支線分岐駅(乗換はできない) 川崎市川崎区
大川駅 ●
浜川崎駅 ● 東日本旅客鉄道:南武線支線(南武支線)
南武支線との乗り換え駅であるが、駅舎は道路を挟んで分離している。
昭和駅 ●
扇町駅 ●
|印は通過。武蔵白石駅は、大川支線のホームがないため大川支線直通列車は通過する。
鶴見駅と国道駅の間、東海道線をまたぐ鉄橋の手前にホーム跡がある。これが廃止となった本山駅の跡である。ホーム跡高架下は旧鶴見臨港鉄道のバス事業を源流の一つとする川崎鶴見臨港バスの車庫として利用されている。

駅名について
・鶴見線の駅のほとんどは、実業家などの名前から取られている。これは、この路線が埋立地上にあり、敷設当時地名がなかったためである。
鶴見小野は地元大地主の小野信行、浅野は浅野財閥の創設者で、鶴見臨港鉄道の設立者でもある浅野総一郎、安善は安田財閥の安田善次郎、武蔵白石は日本鋼管(現JFEスチール)の白石元次郎、大川は製紙王・大川平三郎から取ったものである。扇町も、浅野家の家紋の扇に因む。
=mura なるほどだから名字的な駅名が多いのね。海芝浦って駅名言うと、大抵の人は東京の芝浦にあんの?
みたいな顔をします。それだけマイナーなのかな?でも関東100名駅に選ばれてますから〜!!

車両
・現在使用中の車両
クモハ12形
103系 …3両編成1本(3両)
205系0・1100番台 …3両編成9本(27両)
103系は2006年3月17日で運行終了予定。

かつて使用された車両
※鶴見臨港鉄道時代の車両は割愛。なお、このうちの1両が昭和26年に銚子電気鉄道へ移籍し、「デハ301」として在籍(2005年現在予備車)。
11・50系(17m車体を持つ戦前の国電と呼ばれた車両で、本線では1974年頃まで、クモハ12形は1996年3月まで使用された)
クモハ12形(前記17m戦前車両に運転室を増設して1両編成で運転できるように改造された車両)。
大川支線はかつて武蔵白石~大川間の区間運転で、このために本線系統の17m戦前車両廃止後もクモハ12形という茶色の車両が2両残り、1日交代で1両編成で使用されていたが、1996年3月に103系に置き換えられた。なお、クモハ12形は国鉄末期からの一時期(1985年~1990年頃まで)、昼間や休日の閑散時間帯に1両編成で鶴見~海芝浦・鶴見~大川間で使用されたこともあった。この2両は東京総合車両センター(旧大井工場)で保存されているという。
72系(1972~1980年頃まで)
101系(1980~1996年頃まで)
《参考サイト》
http://www.k3.dion.ne.jp/~tsurumi/t-line.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/鶴見線
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C4%E1%B8%AB%C0%FE

★海芝浦駅から撮影

今日の古畑対イチロー見ました。
同じ誕生日の、イチローさん特別な時、又役者してください。
CM等メディアに出る機会が多く、撮影慣れている感じで素敵でしたね。
田村正和さんは天才だ!

気が向いたら、次は京急ネタでblog書きます。

mura


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